前を歩く人の背中からは、心なしかいつもの余裕のある雰囲気が感じられなかった。
原因はなんとなく分かっている。ついさっきまで一緒に歩いていたαさんが、
…被り物をしていて良く分からなかったものの、多分、ホウエンの人に連れ去られてしまったからだと思う。
一緒に歩いている最中でも余り二人は目を合わそうとはしなかったけれど、
シルヴァンさんにとってαさんは、少なくとも嫌いな人ではなかったんだろう。
私だってαさんの事は心配で仕方なかったけれど、何でもないように振舞っていたシルヴァンさんもそれは同じだったようで。
「…あの、シルヴァンさん」
「なんだい、どうかしたのかい?」
「無理は、なさらないで下さいね」
ぴた、と、シルヴァンさんの歩が止まった。私も一緒に立ち止まると、
彼は振り返って笑ったような、でもどこか笑い損ねたような顔をして言う。
「無理?僕が何を無理してるって言うんだい?」
おどけたような声は表情とちぐはぐで、歪に笑う彼はやっぱり、何か無理をしているように見えた。
一人で無理をし過ぎると、人はその内に壊れて崩れてしまうんだよ。
そう父さんから昔々に教えられた事を思い出して、私はぎゅっと手の平を握り締める。
この人は、きっと随分前から無理をしている。
何が理由かは私には分かるはずもなかったし、本当は他人が口を挟めるようなものじゃないのかも知れない。
けれど、私は目の前の人が壊れて崩れてしまうのが嫌だった。
ひびが入って軋む音を見過ごせるほど、私は出来た人間じゃないから。
「私には細かい所までは分かりません、でも、無理をして何かを装っているように見えるのです」
ゆっくりと正直な気持ちを口に出すとシルヴァンさんは少し目を見開いて、
先ほどまで浮かべていた笑みを引っ込めた。
そして次に出てきたのは、どこか焦ったような怒りの表情だった。
「…小娘に何が分かる?」
そう吐き捨てるように言って、彼は持っていた矛をぶんと振って私の方に切っ先を向けた。
冷たい切る様な風が顔に掛かって、鈍く光る矛先が目の前に突き付けられる。
向けられる凶器に一瞬目を見開いたけれど、それでも私の心中は思ったよりも静かで、
小さく呼吸をしてから、そっと矛先を手で包む様にして掴む。ひんやりとした感触が指先に伝わる。
そして私は、何も言わずに彼を見た。何を訴えるでもなく、ただ、じっと。
すると、彼の目が、段々と怒りの色から動揺の色へと揺れていく。
かたかたと矛先が震えるのは腕を上げ続けているせい?それとも、
そんな、空気が止まってしまったような時間がどれほど続いたのか、
突然、彼は何かに耐え切れなくなったかのように矛を下ろして踵を返して歩き出した。
どこへ行くのだろう。シルヴァンさん、と名前を呼んで後を追おうとすると、彼の歩みが早歩きに、そして走りへと変わって行く。
元々歩幅も大きく違う。私はぐんぐんと離されてしまいながらも、
それでも見失わないようにと目を凝らしながら一心不乱に走って追いかけた。
足場が悪くて足がもつれて何回か転んでしまうけど、今はそんな事は気にしてられなかった。
彼を、一人にしてはいけない気がする。
それは、ホウエンという異国が攻めてきたこの戦の前から感じていた事で。
「逃げないで、下さい…!」
走って、走って、そしてようやく振り切ったと安心していたのか立ち止まっていた彼のマントを掴む。
ぎゅっと逃げてしまわないように布地を握り込むと、驚いたような、怯えたような顔で彼は振り向いて声を上げた。
「何故僕に構うんだ!」
「…貴方の事が、どうしてか放っておけないんです」
こちらも、振り絞るように声を出して答える。
何故だかは自分でも良くわからなかったけれど、それは正直な気持ちだった。
どれだけ邪険にされても、どうしてか放っておけなくて。
傍にいたい。支えられるだけは、支えたい。
そういう気持ちが何なのか、私には分からなかったのだけれど。
ただ、顔を上げて彼を見ると、彼は何故か、ぽかんとした顔をしていた。
「嘘を吐くんじゃない!」
そして、必死に何かを振り払うかのように声を上げる。
疑って否定して、焦ったような怒った様な、そんな。
彼は、何に怯えているんだろう。それは私には分からない事なんだろうか。
…私じゃ、力になれないことなんだろうか。
何だか無性に悲しくなって、私も思うままに口を開く。
「嘘なんかじゃ…ありませんっ!」
―そう涙声で反論した所で、近くに人の気配がした。
シルヴァンさんもそれに気付いたのかすっと周りを伺って、口元に歪んだ笑みを浮かべる。
鉄と鉄が当たる音と雪を踏む足音がする。ひとつ…ふたつ?どうやら何人か、きっと異国の人達だろう。
本当なら、今の状態の彼を戦わせたくなかった。何か、嫌な予感がする。
どうにかしてこの場から離れた方が良いと、そう彼に言おうとした時、
じゃきっ
矛を構える音。待って、と言うには気付くのが遅すぎて。
止める前に、彼は既に気配がする方向へと魔法を放っていた。
轟音と、水飛沫と、雪の欠片が辺りに飛び散る。
「戦闘開始だよ、チェア」
告げた彼の目は、何処か遠い色をしていた。
*****
チェアとシルヴァンさん(イトマボクトさん宅)とのお話になります。
時系列的には一緒に行動していたαさんがホウエン軍に連れ去られてしまった後で、
αさんが連れ去られて不安定になっているシルヴァンさんを更に揺らしてしまい、
少し口喧嘩のようなものを起こしてしまった、という感じで…´ `
この後、ウナワタさんとギヨウさんとの戦闘になり、捕虜になってしまいます。
その辺りは掲示板で前に投稿されていたKiruさんの作品を見て頂ければ繋がるかなと…!
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